ー“生命の躍動”を表現する画家ー
鮮やかな色彩と無限の運動ー。
画家ケシャブ・マッラーの作品の特徴を端的に表現できるとしたら、この言葉に尽きるだろう。
人間は名付けることによって境界線をひき、ことばによって世界を分断する。
情報化の現代は、そのスピードがますます速まる。
すべてが分断化され、すべてが細分化され、存在や命でさえも同じ分析の眼にかけられかねない。
ケシャブ・マッラーの作品世界では、この現代病とは異なる世界が広がっている。
それらは全て、鮮やかな色彩と無限の運動を描き出しており、そのダイナミズムはまさに“生命の躍動 élan vital”だ。
彼は言う。
«L'art, c'est le raffinement extrême de l'esprit- "la Beauté." Il se regarde, se conçoit, se sent, se respire et se médite. Tout simplement, il se vit. L'art ne peut être sans l'esprit, ni l'esprit sans l'art. Etre emporté un petit instant, si minime soit-il, à mon avis, c'est l'essence même de la jouissance de l'existence. »
(芸術とは、”美”という精神の究極の洗練である。芸術は見つめ、理解し、感じ、表し、瞑想する。ごく単純に、芸術は生きているのだ。芸術は精神なしに存在しえず、精神も芸術なしに存在しない。わたしの意見では、たとえそれがわずかでも、一瞬でも、夢中になるということは、存在の喜びのエッセンスそのものなのだ。)
芸術は生きているー。
そうだ、芸術は、美術館の中で見つめられるだけの対象ではない。
わたしたちはあまりにも、芸術というものを自分の日常と切り離しすぎてはいないだろうか?
存在の喜びをもたらす小さな瞬間、夢中になれる一瞬というものは、いたるところにちらばっているはずだ。
そして、それは生きることそのものといえるだろう。
生命も人生も、複雑性そのものである。
直線状に、あるいはピラミッド状に、すべてを切り分け、ランクづけることをしすぎるわたしたちのその癖は、それほど意味があるといえるものだろうか?
それはそもそも、生命に対して可能なのだろうか?
そして、わたしたちの人生の本質に必要なものであるといえるのだろうか?
ケシャブ・マッラーの作品は、天体物理学者Hubert Reevesの言葉を連想させる。
「わたしたちはみな、同じ星屑だ。」
ビッグバンからの長い旅路において、生命はリレーを続けてきた。
何の意味もないように思える路上の小石も、人を感動させる美しい花も、華々しく活躍する人も、自分は無価値だと落ち込む人も、すべてはみな、同じ星屑からできている。
つまり、同じ生命の躍動を内部に秘めている存在だ。
しかしそれは、必ずしも現代の眼では見えない美であるのかもしれない。
画家ケシャブ・マッラーは、彼独自の文化や哲学、エスプリにより、この美をとらえる。
そして、長年極めてきた技術と幅広い経験により、キャンバスに色彩の息吹が与えられる。
そこに“生命の躍動 élan vital ”が始まるのである。
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1944年6月1日、ネパールのカトマンズで生まれる。1967年にフランス政府給費留学生として渡仏。有名な国立美術学校エコール・デ・ボザールにて絵画を学び、1973年には最優秀の成績で卒業。その後、アートと文明の一般論とその歴史を学ぶため、エコール・ド・ルーブルとソルボンヌで学ぶ。1969年以来、彼は40以上の個展をフランス及び海外で開催、100以上のグループ展に参加している。その他、多くのサロンや世界のビエンナーレ、トリエンナーレに参加している。東京では、三菱ギャラリー、銀座第7ビルギャラリー等でグループ展を開催。油彩、水彩、リトグラフィー、セリグラフィーの他、銅版画で絵葉書を制作したり、画集の出版もしている。
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