アテネにそびえるパルテノン神殿。
地中海気候の陽光に降り注がれ、鮮やかな空を背景にそびえたつパルテノン神殿は、神々しさと歴史の重さを示してくれているようです。
そうした印象をわたしたちに与えるのは、なんといってもあの白さです。
しかし、実はそのパルテノン神殿は、かつてはカラフルだったのではないか、という説が有力になってきています。
(こちらは、『日立世界ふしぎ発見!』のパルテノン神殿総天然色復元プロジェクトで実現した2500年前のパルテノン神殿の姿です。)
現代のわたしたちはパルテノン神殿の白一色の神殿に神々しさを感じますが、海や山といった自然の色ばかりに取り囲まれていた当時において、こうした鮮やかな色彩はとても重要な意味を持ったのでした。
色はどの文化でも権力と結びついてきました。
かつては技術が発達しておらず、顔料の希少性が階級による色彩ルールと結びついていたからだといえます。
そんな色の力を逆に利用した、まさに“粋”といえる宣伝広告がありました。
それが、越後屋の番傘貸し宣伝です。
三越デパートの前身である越後屋は、三井高利が1673年に開いた呉服屋です。
1683年に三重県から江戸に進出してきた越後屋は、「番傘貸し宣伝」により江戸屈指の呉服屋に成長していきました。
越後屋では、俄雨が降り出すと、クライアントや通行人に名前も聞かずに傘を無料で貸し出したそうです。
彼らが外に出てぱっと傘をさすと、そこには「越後屋」と書いてあり、番号が打ってあるのでした。雨が降るたびに、街中が越後屋の番傘でいっぱいになったといいます。
想像してみてください。
湿気の多い日本の気候、雨がしとしと降り、木造建築の家々がくすんで少し陰気な雰囲気になります。
そんな時、越後屋の色とりどりの傘が一斉に花開くようにあちらこちらで動くのです。
自然と目がいき、記憶に残りますよね。
「江戸中を越後屋にしてにじ(虹)がふき」
という川柳まで生まれました。
これだけ叙情溢れ、粋であり、芸術的な宣伝、なかなか思いつきませんね。
当時の江戸の町並みだからこそ効果を発揮した宣伝であり、現代の色彩文化では成立しないでしょう。
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