日本では文学、歴史、グルメなど、散歩の会というのが人気ですね。
また、集団旅行もたいていは散策の時間があり、旅好きの人を魅了する一つのファクターになっています。
グループで目的をもって歩くのも、パートナーとじっくり話しながら歩くのも、または一人心を落ち着けたり考え事をするために歩くのも、どれも人の心身にとても良い影響を与えてくれます。
散歩が人類史の偉大な発見や創造に貢献した、ともいえそうです。
数学者のポワンカレは、フックス関数の重要な発見をした時、散歩をしていました。
「うまく行かないのに気をくさらして、海岸におもむいて数日を過ごすことにした。全然別のことを考えていたのであった。ある日、断崖の上を散歩していると、不定三元二次形式の数論的変換は非ユークリッド幾何学の変換と同じものであるという考えが、いつもと同じ簡潔さ、突然さ、直接名確実さを以て浮かんで来たのである。」
哲学者のルソーは『告白』のなかで次のように言っています。
「一人徒歩で旅した時ほど、豊かに考え、豊かに存在し、豊かに生き、あえていうならば、豊かにわたし自身であったことはない。徒歩はわたしの思想を活気付け、活き活きさせる何物かをもっている。じっと止まっていると、わたしはほとんどものが考えられない。わたしの精神を動かすためには、わたしの肉体は動いていなければならないのだ。田園の眺め、快い景色の連続、大気、旺盛な食欲、歩いて得られる優れた健康、田舎の料亭の自由さ。わたしの隷属を思い起こさせる一切のものから遠ざかることが、わたしの魂を解放し、思想に一層の大胆さを与える。」
日本の誇る西行や松尾芭蕉も、旅をし、歩きながら、多くの歌を残しています。
義務教育で「○○の時間」と区切られた授業を受けるからでしょうか、あるいは受験勉強の制度があるからでしょうか、現代のわたしたちは、運動は運動、芸術は芸術、数学は数学、ビジネスはビジネス、と人間の活動を細分化して捉えがちです。
しかし、創造は全人格的なものから生まれてくるものであり、見えない壁によって区切られ細分化された世界に閉じこもっていることは可能性を狭くすることと同じです。狭い範囲を飛び出るところに創造があり、文化にせよ科学にせよ、創造者は突き抜けた人といえるでしょう。そして、創造者がいるからこそ、文化が生まれ、「わたしたちの文化」として継承されます。
経済学者・田口卯吉は言います。
「(和歌の本質は)四季折々の物につけ事につけて、いろいろと憐れの情を起こすことなり。これを物のあわれを観ずという。かかる情は働かずして衣食に富み、勉めずして心に暇多く、柔弱にして静に、知見なくして痴情に富める人に非ざるよりは、これを十分に盛んならしむるを得べからず。」
少しまじめすぎるかな、という気もしなくはないですが、それでも、日本文化の真髄ともいえる「物のあわれ」を理解する人間になるためには、わたしたちの全人格的なものが求められている、ということを教えてくれることばですね。
ですから、文化や芸術、あるいは教養といったものを少し学んでみようかな、と思った人が、四季折々の季節に五感を使って散策するということは、立派な文化活動であるといえます。
「健康」だけではなく、「文化」もキーワードに、ぜひ身近なところで散策してみてください。
新たなインスピレーションが訪れるかもしれません。
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